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勉強しない子供の主張

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勉強しない子は、怠け者なのか?

こてっちゃんです。今日のテーマは、「現在勉強をしない子供が抱えている困った行動は、当人に秘めている素晴らしい可能性の兆しなのではないか?」という話です。
 
こてっちゃんは、学生時代、両親、姉、友人から怠け者なのだと思われていました。
何故かと言いますと、実際に怠けていたからです。
 
勉強などする気はありませんでしたし、勉強していませんでしたから、妥当な評価と言えるでしょう。
 
しかし、最近、驚いたことがあります。
 
ポジティブ心理学の、強みを見つけるテストを受けてみたところ、こてっちゃんの上位の項目に、「向学心」という項目があったのです。
 
実際、最近の僕は、一般平均(一か月1冊)に比較すれば、それなりに本を読んでいますし、いろいろなことを学びたいと思って、勉強会などにも出席しています。
 
「勝間塾」という、月額制のコミュニティーラーニングシステムを利用して、ネット上で学びの輪も広げている最中です。今の僕にとって、向学心という強みは、物凄く僕らしい強みと言えます。
 
筋金入りの怠け者だった僕が、今何故向学心という強みを手に入れたのでしょうか?
 
努力をしたから?いいえ、何もしていません。実際のところ、今も昔もしたいことをしているだけです。
 
大抵の人は、この向学心という強み、成長したから出てきたものだと、思うことでしょう。
 
しかし、僕はそうは思いません。昔から持っていたんです。
 
中学時代、僕はポケモンのことしか考えていませんでした。
 
この、ポケモンというゲーム、子供向けなのにものすごく奥深く、バトルで勝利するために、いろいろと研究を重ねているプレイヤーは数多くいます。
 
僕もその一人でした。
 
攻略本は何度も読み返しましたし、インターネットで情報を収集しました。それの為にノートを作ったり、時間があればゲームボーイの電源を点け、いろいろなポケモンを育てました。
 
要するに、ただの廃人ゲーマーなのですが、見ようによってこれは「向学心」なのではないか?と、思うのです。
 
勉強をしないのは、怠けているのではなく、向学心という「エネルギー」が、勉強とは別の価値観に向けられていただけなのではないか?ということです。
 
つまり、問題があったのは勉強に向かう姿勢や態度などではなく、エネルギーを向けている価値観で、勉強などのことに高い価値観を感じることが出来れば自ら進んで取り組むはずであると、僕は考えます。
 
僕たちは一般的に、「怠け者」に分類されることがしばしばありますが、本当は怠け者ではなく、価値観が一般的ではないのだと、理解しなければならないのです。
 
人それぞれ、問題行動だと思われていることの裏に、秘められている可能性があるのではないでしょうか?
 
簡単ではありませんが、それが判明し、活かすことが出来れば、物凄く良い方向に向かう。
 
僕はそう思います。
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子にとって親のコントロールは必要なことか?

こてっちゃんです。今日はコントロールがテーマ?です。
 
勉強をしないお子さんと親御さんの間の問題として、僕が思っていることに、「親から子に対するコントロール」というのがあります。
 
というのは、おそらくどのご家庭でもまぁ大体行われているであろう、「悪いことをしたら叱る」と言った類の事です。
 
普通のご家庭でも行われているであろうことなので、「それのどこが問題なんだ?」と、感じられる方も多いと思います。
 
僕も別にそれ自体は問題とは感じません。
 
ただ、勉強をしない子のいるご家庭では、それがエスカレートして、ご家庭がまるで戦場のように殺伐としているのではないでしょうか?
 
勉強をしないことや、悪い成績を取ることに対して強く叱ったりすることはきっと沢山あると思います。
 
また、「????しなかったから」と、食事を抜きにしたり、お子さんの大切にしているものを取り上げたり、時には感情的になって罵倒することもあるかもしれません。
 
本当は、愛情の裏返しで、お子さんに「まとも」になってもらいたい一心で、必死になっているのだと思います。
 
しかし、必死になればなるほど、お子さんは心を閉ざし、親子の関係はすれ違って行きます。
 
「言うことを聞かないから強く叱るのだ。」という親御さんは多いかもしれません。ただ、「強く叱るから言うことを聞かない」という可能性はないでしょうか?
 
どちらが原因か?という事にあまり意味はありません。大事なのは、実際に「すれ違っている。」という事実です。
 
大昔に喧嘩して別れた恋人は居ますか?居るなら思い出してください。いない方は想像してください。
 
別れる前、お互いに不満を抱え、ぶつけ合い、その時の恋人はあなたの不満に聞く耳を持ちましたか?あなたは、恋人の不満に聞く耳を持ちましたか?
 
一方的に不満をまくし立て、相手の言うことは全て言い訳と決めつけたりしませんでしたか?もしくは、されませんでしたか?
 
人は、すれ違った相手の言うことに対して、聞く耳を持ちません。それは親子間でも同じことです。
 
「子は親に養われているのだから、聞くのが当然」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、例えそれが「当然」だとしても、そういうものなのです。
 
すれ違い、溝が深まっている状態で、いくら必死になっても、子は親の言うことに耳を傾けたりはしません。
 
そういう状態で何か言ったりしても、溝はさらに深まり、余計に状況は悪化するでしょう。
 
ならば、子にとって親のコントロールは要らないものなのか?
 
答えはNoです。人は間違えます。子も人です。
 
もし子が間違えてしまった時、その間違いから目を覚ますのは誰でしょうか?親です。
 
姉の話をします。
 
大学4年の時、就職活動が上手くいかず、いい加減気が滅入っていた時に、姉はとある不動産会社に内定が決まりました。
 
その会社で姉が与えられることになっていた仕事の内容は、数千万から数億もするマンションの買い付けという、業務経験のない新卒に任せられる仕事とは、とても思えない内容でした。
 
就活の疲れからか?人事担当者に焚き付けられたのか?理由はよくわかりませんが、姉はすっかりやる気になっていて、そのことで母と口論になり、母は「絶対にやめなさい!」と、とても強く、何度も姉に言い聞かせました。
 
結局、姉はその会社に行くことを諦め、別の会社に見事内定が決まり、今でもその会社で働いています。そして、どうやらその会社で生きがいを見出したようで、働いている姉はとても活き活きとしています。
 
その時母が姉に反対しなかったら、姉はどういう人生を歩んで居たのでしょうか?それは誰にもわかりません。が、誰が聞いてもおかしい会社だと思うんじゃないでしょうか?
 
もしその不動産会社に内定が決まったのが、当時の僕だったら?母は、当然同じように反対します。
 
そして、きっと僕だったら母の言うことなど聞きもせず、意地になって家を出て行ったかもしれません。
 
親が子をコントロールすることの一番大きな問題は、コントロールによって生じたすれ違いが原因で、本当に必要なときにコントロールが効かなくなることです。
 
今現在、本当にコントロールは必要ですか?必要な事は、コントロールではなく、すれ違いを埋めることなのではないでしょうか?
 
もちろん、すれ違って居たら聞く耳を持たないのは、子だけではありません。親も、子の言うことになど、聞く耳を持ちません。
 
ですが、どちらかが心を開き、一歩を踏み出す事によって、それは少しずつ解決して行けるものなのではないか?
 
僕はそう思います。

子供が「やりたい」ことは、本当に子供がやりたいことか?

こんにちは、こてっちゃんです。
今日は、子供の「やりたい」と言っていることは、本当にやりたい事なのか?という話をしようと思います。 
僕が中学受験本番を迎え、幾つかの学校を受験した時、こんな事がありました。
僕が志望の学校を受験した順番は、第二志望→第一志望→第三志望という順番だったのですが、第一志望、第二志望の試験は問題が難しくてさっぱりわからず、落ちてしまったんです。
僕にしてみれば、「あー、やっぱりね。」という感じで、特に気にしていなかったのですが、母は「志望校に落ちて落ち込んでいる!」と思い込み、慰める為に毎日の様に美味しいものを食べさせてくれたのです!
なんていい母親でしょう?涙ぐましい話です。しかし当人は全く落ち込んでなかったので、「なんだか知らんけどラッキー\(^o^)/」ぐらいにしか思ってませんでした。
母にしてみれば、そんな報われない話はありません。当時の母が聞いていたら、ショックで心臓麻痺になることでしょう。
しかし、当の自分は、本当にそう思っていたのですから、仕方ありません。
そもそも、母は何故、僕が落ち込んでいると思ったのでしょう?
それは、僕が志望校に行きたくてたまらないのだと、母が思い込んで居たからです。
そして、何故母がそう思い込んで居たのか?それは、僕が受験したいと、言ったからです。
僕が受験したいと言ったのには、わけがあります。凄い剣幕で母に迫られたのです。「あんたは受験する気あるの!?」と。
そもそも元々僕は、受験をしたいという気持ちは微塵もありませんでしたし、そのために学習塾に行きたいという気持ちもありませんでした。
塾に通っていた理由は、ただ単に「行かなきゃ  いけないから」で、勉強をしていた理由も、「やらなきゃいけないから」で、そこには目的も、目標もありませんし、志望校などと言われても、「どこでもいい」というのが正直なところでした。
そんなことよりもゲームがしたいのですが、受験を理由に、あまり自由にやらせてくれません。なので、しょっちゅう親に隠れてゲームをしては、怒られていました。
何度も繰り返すうちに、母親はついにキレます。「あんたは勉強する気があるのか!?」と。
正気、ありません。受験などせずに、遊びたいのです。が、子供はこういう時、「勉強したい」と答えるしかないのです。
「ゲームばっかやるんだったら、塾なんかやめちまえ!」と言われた時に、試しに「わかった、辞める」と答えてみたことがあります。
その日はとても気分がよく、清々しい気持ちで「塾はもう辞めるから一緒に遊ぼう!」と、クラス中の友達を遊びに誘いました。
するとどうでしょう?鬼の形相の母に、無理矢理塾に連れて行かれたのです。もう、諦めました。
そんなこんなで、母は僕が勉強をしたいものだと思い込んでいたので、そのためならなんでもしてくれたし、「子供のやりたい事の為に頑張った」という綺麗な記憶が積み重なって行きました。
僕はというと、やりたくない勉強をさせられ、ゲームを封じられた、抑圧された記憶が積み重なって行きました。
もちろん、母にしてみれば我が子可愛さがあってのことでしょう。一応は塾で成績は上の方でしたから、それに対する期待もあったと思います。親として当然の事で、間違いだと言うつもりは毛頭ありません。
しかし、親子は、そうやってすれ違って行くのではないか?僕はそう思うのです。
もし、あなたがお子さんの行動にお困りの親御さんでしたら、お子さんが本当は何をしたいのか、怒らずに聞いてみて欲しいのです。
すれ違いをなくすこと。それが全ての始まりなんじゃないかと、そう思います。

はじめに

こてっちゃんです。
勉強しない子供にどうやって勉強をやらせるか?
親御さん達にとっては永遠の課題だと思います。
不況真っ只中において、お子様の将来を案じて、少しでもいい会社に就職して欲しいと、少しでもいい教育を受けさせ、少しでもいい大学に通わせ・・・そんな事を考えて、小学生の段階で学習塾に通わせ、私立の中学を目指す。
そんな親御さんは、たぶん沢山いるかと思います。うちの母も例によって、そんな
母親でした。
僕は、自分が学習塾に行っている間に、みんなで家に集まってゲームをしているのが羨ましかったのですが、親の決めた事です。逆らえません。
この時点で、僕は勉強をしない子供ではありませんでした。
塾の定期テストの際には理科と数学は成績上位者として必ず廊下の壁に名前が張り出されていましたし、小学校では塾に行っている子の方が少なかったため、「勉強ができる子」という扱いで、その立ち位置が気持ち良くて、勉強が出来る自分が大好きでした。
ただ、好きなのは「勉強が出来る自分」であって、勉強ではありません。勉強よりもゲームがしたかったし、勉強をサボって、隠れてゲームをやっては、怒られてました。
何度も何度も怒られるので、余計に隠れてゲームをするようになりました。
ゲームをしていることがバレれば、ミミズ腫れが幾つも出来るまで、タコ殴りです。ゲームがしたいなどと、怖くて言えません。
「自分は勉強なんかしたくない!ゲームがしたいんだ!」
と、あの時はっきり主張が出来たら、どんなに楽だったでしょう。
勿論、そんな事許されようものなら、今頃きっとゲーム廃人です(笑)
結局その後、僕はゲーム廃人になることになるので、どちらにせよ変わらなかったのかもしれません。逆に、もしかしたら何か別の結果があったのかもしれません。
それは、神のみぞ知る事です。
しかし、確実に言えることは、勉強をしない子供には、勉強をしない子供の想いがあること。
その想いが、正しいことなのかどうかは知りません。子供の考えることですから、間違っていることの方が多いと思います。
勉強しない子供がどうしたら勉強をするようになるのか、僕にはわかりません。
しかし、そんなお子さんの想いをしっかり汲み取って、理解してあげること、そして、「勉強がしたい!」と思えるように、サポートしてあげること。それが、第一歩なんじゃないかと思います。
その第一歩のきっかけになれたらいいなという期待と、お子様と親御様がいい関係を築いて欲しいという想いから、僕はこのブログをつづろうと思いました。
よろしくお願いします。

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